ジョージ・ソロス
ソロス・ファンド・マネージメントの設立者である。1970年、彼はジム・ロジャーズとともにソロスファンド(後のクォンタム・ファンド)を設立した。ファンドは10年間で3,365%のリターンを出してソロスの富の大部分を形成した。
・1947年単身イギリスに渡る。
・1949年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) に入学する。大学卒業後はイングランド北部のブラックプールで記念品や土産物や宝飾品などを販売するセールスマンとなる。
・1953年ロンドンのシンガー&フリードランダー社に入社。
・1956年9月ニューヨークのウォール街に赴く。
・1961年から1966年にかけて、自分の学位論文「認識の重荷」を完成させることに集中する。
・1969年ジム・ロジャーズと共にソロスファンド(後のクォンタム・ファンド)を設立。
・1980年ジム・ロジャーズと訣別。
・1981年クォンタム・ファンドは創設以来はじめての損失を出す。ファンドは4億ドルから2億ドルに縮小、運用実績は22%のマイナスとなる。
・1992年イギリス政府の為替介入に対抗してイギリスの通貨ポンドへ空売りを行い、15億ドルの利益を得る。
通貨投機
1992年9月16日のポンド危機で、100億ドル以上のポンドの空売りを行なったことで、ソロスはすぐ名を挙げた。イングランド銀行が金利を欧州為替相場メカニズム(ERM) を採用している他の国と比較して引きあげること、またはその国の通貨の変動相場の金利を引き上げることに乗り気でなかったことから、ソロスは利益を得た。最終的にイングランド銀行は欧州為替相場メカニズムから通貨を回収することを強いられた。ポンドは価値を下げ、この過程でソロスは20億ドルと見積もられる利益を出した。ソロスは、イングランド銀行をつぶした男と呼ばれた。 タイムズ紙にて1992年10月26日月曜日:ソロスは以下のように答えている。「我々のブラックマンデーまでのトータルポジションはほぼ100億ドルの価値があった」「しかし、我々はそれ以上に売ることを決断した」。事実、Norman Lamontが英国通貨スターリングを買い支えるため、150億ドルを借りることを価値切り下げの直前に行ったとき、我々はどのくらい空売りすることになるかということを暗に示していたので、楽しんでいた。
1997年、アジア通貨危機の間、マレーシア首相マハティールはソロスがマレーシア通貨リンギットを下落させたことを戦犯と非難した。